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ハンガリー語キーボードのお話

 
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ハンガリー語のキーボードは、ドイツ語と同様のQWERTZを基準とした配列となっていますが、まったく同一ではありません。

ハンガリー語とキーボードの成立の経緯や特徴です。

 

「ハンガリー語」

ハンガリー語は、マジャール語とも呼ばれるハンガリーと周辺地域の一部で使われている言語です。

ハンガリー語(マジャール語)はウラル語族という、北欧スカンジナビア半島に古くから住む人々の使うサーミ語やフィンランド語、バルト海に面した国であるエストニア共和国のエストニア語など、主にユーラシア大陸北方の言語が多く分類されるグループの一派です。

ウラル語族諸派の言語は分布図を見ると、ユーラシア大陸北方に多く見られますが、なぜかハンガリー語だけ中部ヨーロッパに飛び地のようにポツンと位置していることがわかります。

ちなみにウラル語族の「ウラル」は、現在のロシアに位置する南北2,500kmの長さにおよぶ山脈を指し、一般にウラル山脈より西をヨーロッパ大陸、東をアジア大陸と呼びます。

 

もともとウラル山脈中南部を居住地としていたマジャール人と呼ばれる民族は、西暦4世紀頃から徐々に南西に移動していきます。黒海北西のアゾフ海という内海の北側まで移動していたマジャール人は、9世紀頃には現在のハンガリーの位置するカルパティア盆地まで達します。

 

同地に定着しつつあったマジャール人はその後、近隣との戦いやカトリック教義の導入といった動きを経て、西暦1000年にハンガリー王国が成立させます。

 

こうした経緯から、ヨーロッパの言語の多数派とは異なる系統のハンガリー語が、中部ヨーロッパに定着することとなります。

なお、そうした特徴のうちの一つに、人物名が他のヨーロッパ言語では、名-姓(名字)の順で表記されるのが一般的なところ、ハンガリー語では日本語と同様の姓(名字)-名の順で表記されるといったことがあげられます。

 

「ハンガリーにおけるタイプライター」

ハンガリーにおけるタイプライター導入の歴史は残念ながらはっきりとはわかりません。

ただ、現在に残るアンティークタイプライター等から推察すると、やはりドイツのメーカーによるものが多く残っています。

 

その中でも、1903年よりタイプライターの製造を開始し、1912年に会社の清算とともに製造を終了した、ドイツのカンツラーというメーカーの1910年ごろのモデルが、ブダペスト市内の代理店の銘入りで残っているものもあります。

このことから、ドイツでタイプライターが大量に生産されることとなった1900年代から徐々にハンガリーにもタイプライターが多く入り始め、使用されていたと考えられます。

 

また、1918年から翌年にかけて、ハンガリーでは国内に革命が起こり、その革命に介入しようとした隣国ルーマニアとの戦争に突入します(ハンガリー・ルーマニア戦争)。

この戦争はハンガリーの敗戦に終わります。

そして、戦後処理の過程でハンガリーまで進駐していたルーマニア軍の撤収時に、多くの物資が没収されることとなりました。

当時、政府の事務所で使われていた電話機やタイプライターでさえも、ルーマニアによって多くが持ち去られたと記述する歴史書もあり、そのことからも、この時代にはすでにハンガリー国内でタイプライターが広く普及していたことがうかがい知れます。

 

ドイツ製やドイツの企業の製造したタイプライターが多かったことから、ハンガリーではドイツと同様のQWERTZ配列が一般的になったと思われますが、現在のパソコンのキーボードに関しては、全く同一ではありません。

 

ハンガリー語のキーボードでは、

数字の0が1の隣に位置する(通用はQWERTY配列、QWERTZ配列共に、0は9の隣)。

アクセント記号付きの母音は独立して別々のキーに配置される(á、é、í、ó、ő、ú、űといった文字はドイツ語にはなく、独自表記がなされている)。

といった特徴があります。

 

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