QUERTY ― キーボードと配列(2)
QWERTYという配列にはタイプライターの登場が大きく係わっています。
初期のタイプライターの登場から、実用的・商業的に成功するタイプライターの登場までは、多くの人の関与と多くの発明がありました。
1860年代後半のアメリカで、それは誕生します。
「QWERTY配列の成立」
1868年 アメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーの出版編集者のクリストファー・レイサム・ショールズがタイプライターを開発し特許を取得しました。この開発はカルロス・グリデン、サミュエル・ウィラード・ソール、ジェームズ・デンスモアといった人物の支援により行われました。このタイプライターは後、改良が繰り返されましたが、E.Remington and Sonsという銃器メーカーによる製造が決まり、1873年にはSholes and Glidden Type-Writerとして量産が開始されます。
ショールズらの初期の特許では、配列はABC順のアルファベットと数字のいくつか(1はI、0はOで代用)を、ピアノの鍵盤のように配置する構成となっていました。
この配置が、Q・W・E・・・という配列となるきっかけとしては、英語で用いられるアルファベットの登場頻度や並びからアーム・タイプバーといった部品の接触や紙詰まりなどといった、機械的構造や物理的制約の問題を解消するためという説がありますが、断定できる当時の資料がないため、議論の的となっています。
手作りされた試作品を収蔵する、ニューヨークのバッファロー歴史博物館では、機構による不具合を解消するために、最終的にE.Remington and SonsのエンジニアによってQWERTYキーボード配列が確立されたことを示してます。
また、京都大学の安岡氏はその著書「キーボード配列QWERTYの謎」の中で、別のアプローチによる興味深い見解を示されており、今後の研究や議論が期待されます。
いずれにせよ、ショールズらのタイプライター開発が進む段階で、キーボードにおけるアルファベットのABCという並び順に対する変更が加えられ、E.Remington and Sonsの初期の製品から後継機の製造に至る10~15年という期間に、このQWERTYという配置が作られていったものだと考えられます。
QWERTYの成立に至る過程には、証拠に乏しく、通説や推測、学術的なアプローチがあることに関し、当時試行錯誤のうえ生み出されたタイプライターのロマンがあり、コンピューターの時代となった今でも人々を魅了し続けています。
「コンピューターキーボードへの応用」
タイプライターの発達は、キーボードの発達にもつながっています。
現在のコンピューターキーボードにもあるシフトキーやタブキーも、タイプライターでの大文字と小文字の切り替え、余白を設定するために搭載さました。
しかし、コンピューターの黎明期には、紙に穴を開け、穴の有無や位置によりデータをやり取りするパンチカードという物を用い、統計や会計といった用途に使われていました。
やがて、コンピューターの性能の向上と共に、キーボードを持つコンピューターが登場します。
1949年に作られたコンピュータのBINAC(Binary Automatic Computer)は、磁気テープからのロード、もしくは、手動で8進数(0から7の数字)による入力が行えるマシンでしたが、この入力用に8つのキーを持つキーボードが使用されていました。
このコンピューターは、ノースッロップエアクラフトという航空機メーカーのために設計されたコンピューターでした。
1950年代に入り、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者は、コンピューターへの入力をキーボードから直接行うための実験を開始します。特にフレクソライターという電気制御タイプライターは、そのコストと柔軟性において、コンピューターの入力装置として十分に機能できると考えられました。
1950年代半ば、MITで進んでいたコンピュータープロジェクト「Whirlwind」はユーザーの入力用としてキーボードを備え、コンピューター入力用デバイスとしてキーボードの有効性が確認されました。
このような流れの中で、今では広く使われるようになった、QWERTYという配列とコンピューターへの入力方法としてのキーボード確立していきしました。
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