ミャンマー語キーボード|新興コンピューター社会と入力問題

近年、成長著しい東南アジアの国、ミャンマー。

以前は『ビルマ』という名称が一般的だった時代もありました。

現在では、ミャンマーという名称が使われる機会が多くなりました。

しかし、未だに一部の国や報道機関はビルマという呼称を使い続けています。

経済成長によりパソコンやスマホといった通信インフラの質・量ともに向上していますが、それは驚くほど短い期間で形成されてきました。

ミャンマーで話される言語は100以上!

ミャンマーは国境を中国、タイ、ラオス、インド、バングラデシュと接する多民族国家です。

国内にはおよそ135の民族グループがあり、100以上の言語が母語として話されています。

しかし公用語はミャンマー語(ビルマ語)のみとなっています。

 

ミャンマー語(ビルマ語)の話者であるビルマ族は、ミャンマー最大の民族であり、国内の人口の7割弱を占めます。

ビルマ族は、かつて9世紀半ばに他の地から移り住み、『パガン王朝』という都市国家を成立させます。

このパガン王朝は、現在のミャンマーを構成する地域を統一した最初の王朝です。

 

パガン王朝では古ビルマ語という、ミャンマー語の初期形態の言葉が話されていました。

しかし文字はというと、モン族という他の民族が6世紀ごろから使用してきた文字を、借用して使用していました。

 

この文字は、今に引き継がれ、ミャンマー語の文字として使われ続けています。

また、その書記体系はインドで発生したブラフミー文字に基づいています。

パガン王朝のあったパガンの地では、ビルマ語、モン語、パーリ語、ピュー語という4つの言語が石碑の4面に刻まれた「ミャゼーディ碑文」が発見されています。

この碑文は西暦1113年に作成されたと考えられており、現在では話されていない言葉、ピュー語の解読にも一役買っています。

ちなみにミャゼーディ碑文は、2015年にユネスコの世界記憶遺産に登録されました。

ミャンマー語とタイプライター

ミャンマーのコンピューターキーボードの配列も、他の言語と同様にタイプライターのキーボードを基に作られています。

ミャンマーにおけるタイプライター導入の正確な記録はなく、およそ1900年代のはじめと推定されます。

断片的な記録によれば、第1次世界大戦前にはすでに、官公庁などでタイプライターによる文書作成が行われていたことが示唆されています。

 

現存する古いタイプライターの製造メーカーを見ると、アメリカ製のレミントン、ドイツ製のオリンピアが多い印象です。

これら古いタイプライターは、すでにミャンマー文字のキーボードを有していました。

 

すこし後年の話になります。

ミャンマー語速記法の発明者、ツエ・オーン・チェイン(Zwe Ohn Chein)は、1950年代に速記やタイプライターの研究に関する本を執筆、また、1958年頃には、レミントン社のミャンマー支社と契約し、同社のミャンマー語モデルのタイプライター販売に同行する活動をしていたとの記録があります。

 

今でもミャンマーでは、官公庁に提出する書類をタイプする、職業タイピストが活躍しています。

もちろん、コンピューターの普及により、今後はその数を少しずつ減らしていくと予想されています。

しかし、電力事情の悪い地域もまだまだ多く、タイピストの需要はしばらく残りそうです。

遅れてやってきたコンピューターの時代

ミャンマーは1962年に起こったクーデター以来、長期にわたり軍事政権の時代が続きました。

国有企業による統制経済や鎖国的な統制経済のもと、発展が著しく遅れることとなりました。

また、軍事政権の施政は民主化からも程遠く、これらは欧米諸国による経済制裁の実施といった事態を招きました。

 

実際、ミャンマーにおけるインターネット接続は2000年から開始されています。

しかし当時の政権は、コンテンツ制御ソフトの使用や検閲といった手段、罰金および長期の懲役刑を伴う法律と規制により、インターネットアクセスを大幅に制限、制御していました。

 

結果としてミャンマーはコンピューターやインターネットの普及、情報の自由化といった世界の趨勢から取り残されることとなりました。

 

その後、2007年からの民主化運動を経て、2010年には新憲法の下での総選挙を実施。

そしてその翌年2011年には、選挙結果を踏まえた新政府樹立と民政移管が行われ、ミャンマーはついに国際社会への復帰を果たします。

 

既に世界中に浸透していたネット社会も、堰を切ったようにミャンマー国内に波及していきました。

ミャンマー文字フォントの内戦

急激に普及するインターネットとコンピューターに対し、ハードウェアやソフトウェアの整備や改良が追い付かない事態となります。

特に、2000年代初頭に整備されていたミャンマー語キーボード配列およびフォントは使いにくく習得が困難という特徴がありました。

 

2005年には、ミャンマー政府外郭団体である「ミャンマー コンピューター連合」の下部組織「Myanmar Unicode and NLP Research Center」により、『Myanmar 1』というフォント(書体)が導入されました。

このMyanmar 1は、Unicodeと呼ばれる国際標準に準拠したフォント及びキーボード配列として開発されました。

国際標準から取り残されていたミャンマー語にとっても、コンピューター文字表記の国際化を期待されていましたが、完璧な造りとは言い難く国内でのユーザーへの普及は今一つでした。

※     Unicode:0と1という二進法で運用されるコンピューターへの、文字の入力・表示のための符号システム。
世界中の文字や記号に、国際的に取り決められた背番号を割り振ることによって入力・表示システムの標準化を実現している。その策定対象には古代文字も含まれる。

 

このような中、「Zawgyi」というフォントとキーボード配列が、ミャンマー国内の企業により開発、リリースされました。

2007年末のことでした。

Zawgyiは、ミャンマー語の複雑な文字体系を簡便に取り扱えるよう、紙に書くように視覚的にタイピングが可能なように工夫されています。

この優れたシステムは、またたく間に他の入力支援システムを押しのけ、普及していきました。

 

当時は民政移管前夜であり、国際的な制裁が続いている時代でした。

ミャンマー国内のコンピューターを、Unicodeによって標準化する必要性そのものが高くありませんでした。

OSで圧倒的なシェアを誇るWindowsも、制裁を理由にミャンマー語のサポートを行っていませんでした。

 

使いづらいMyanmar 1に対し、Zawgyiは圧倒的に支持されるフォントであり、入力システムでした。

が、ここに大きな壁が立ちはだかります。

 

Zawgyiは、Unicodeへの準拠がなされていないために、遅ればせながら国際化に対応することとなったミャンマーのコンピューター事情に合わなくなることが多くなってきました。

Zawgyiユーザーは、Unicodeで記述されたコンピューター上のメッセージやサイトを読むことができず、逆もまた然りといった問題点が浮き彫りになってきます。

 

この、UnicodeとZawgyiの普及を巡る動きをもって、『ミャンマー文字フォントの内戦』と表現する人もいます。

結局、ミャンマー政府は、政府省庁におけるコンピューターを、2019年4月にUnicode化することを決定。

それ以外の国内コンピューター関連(メディアやWebコンテンツ制作者、サービスプロバイダー)対象者は、2019年10月をもってZawgyiからUnicodeへの移行を促されることとなりました。

 

先述のMyanmar 1は、その後Myanmar 2へと発展・改良され、現在ではMyanmar 3が制定されています。

キーボード配列についても、フォントであるMyanmar 3と同時に発表された「Myanmar 3レイアウト」が国家標準として定められています。

今後は、Zawgyiにとって代わり、普及が進むと予想されています。

 

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